こんにちは!
イベント21神奈川支店の中村です。
今回は長野県ですくすく育ったわたくし中村がどんな長野時代を過ごし、東京に出てきて、そしてイベント21に入社し神奈川支店の拠点長をやろうと思ったのか。
ゆっくり気の向くままに書いていこうと思います☺

中村とは

初めに、自己紹介から。
長野県出身、1月22日生まれ。
家の周りは山、、、山、、、田んぼ、、、畑、、、やっぱり山、、、そんな大自然の中ですくすくと育ちました。
香歩という名前は、初めて会う人には珍しい漢字を使うね~と言われることが多いです。
小さいとき名前の由来を聞いたことがあります。
将棋の駒から、一歩一歩進んでいってほしい。そう教えてもらいました。
この名前気に入ってます♪
昔から自分の好きなように生きてきました。好きなことをやらせてくれる親には感謝しかありません。
自慢は、魚がきれいに食べられることです!(笑)
昔から親に魚は自分で食べられるようになりなさい。と魚の骨を取ってもらったことは一度もありません。なので魚が嫌いでした笑
何度親に骨の無い魚はないの~と言ったことか、、、。
ただそのおかげで今では魚はきれいに食べられるし、ご飯をおいしくきれいに食べることができます☺
それでは、小さい頃の話から、今に至るまで、少しずつお話していこうと思います。
気長にお付き合いください☺

生まれたて~保育園

それではまず、生まれてから保育園児だった時のお話。
そこから話すのかい!?と思った方!(笑)
長野に帰れない今、お父さんから昔の写真を送ってもらい色々思い出してしまったので書かせてください!

これは2歳の時の写真です。
どうしてこんな顔をしているのかはわかりません。笑
でもこの後笑い転げている写真があります。
これは、、、笑っているのではないのか、、、爆泣きしているのか、、、わかりませんが昔から感情表現が豊かだったのでしょう。

家族3人で小さなおうちに住んでいて、お風呂に行くのに一回外に出なくては行けなくて冬はとっても寒かった記憶があります。
長野は結構雪が降るので、雪かきのお手伝いをして近くのおもちゃ屋さんでおままごとセットを買ってもらった記憶もあります。
まだ保育園に行く前の話。今でも鮮明に覚えていることがあります。
この時定期的に見てもらっていた歯医者さんがあるのですが、子供だったわたしはきっと大暴れしたのでしょう。それから毎回行くと診察台の上で網で縛られていました、、、。
きっとこのせいで歯医者さんが嫌いになったのだと思っているエピソード(笑)

もう一枚ここで紹介したい写真があります。

これは親戚の結婚式の時の写真。
この時が可愛さ全盛期だと思っています。笑
実家に額に入れて昔から飾ってあったので。
ただ、、足が挟まって抜けなくて助けを求めている瞬間っていうのがまた(笑)

それでは保育園児の中村を見ていきましょ~

一気になんか大きくなりましたね。
後ろにいるのは弟です。
保育園に行くタイミングで引っ越しをしました。
家から保育園まで徒歩1分。保育園から家が見えるのですが、入園した当初は保育園に着いた瞬間から泣いていたそうです。
ずっと泣いていて、先生が保育園から見える家を見せてくれていたそうです。
ずっと泣いていたのに運動会の練習が始まってから泣かなくなったみたいです。
相当楽しかったのでしょう。
保育園の時に着ていた服はお母さんの手作りが多かったです。それが結構記憶に残っています。
なのになぜ私はお裁縫ができないのでしょうか、、、。

あ、弟が出てきたの弟の話を少し。
2歳下に弟がいます。今でも仲のいい姉弟です。
本気で喧嘩をするのは弟くらいです。
昔から喧嘩ばっかだったな~と思いながら、いつも一緒で今でも一緒にライブに行ったり、ディズニーに行ったり、遊びに行ったりします。
お互い大人になってきて、いろいろな話ができる関係。やっぱり姉弟は特別です。
小さい頃の弟との写真を少し紹介させてください。

お父さんが木を切るための重し。後姿が愛くるしい。自分ですが(笑)
笑ってしまう(笑)
この時は私のほうが背が大きいのに、今では大きすぎる弟。
最後に。
この写真は地元の広報にも当時載せてもらった写真です。
なぜこんなに笑っているのか。
二人とも洗濯機に寄りかかって座っていて、洗濯機がガタガタ揺れるのがなぜか面白くて笑っている瞬間の写真です。

小学生

田舎なので、学校は基本1クラス。そして保育園から中学3年までずっと同じクラスが基本です。
なので小学校6年間ずっと同じクラスです。
家も近所なので全員の家は今でもわかるくらい、行き来するくらいの仲になるのが田舎の好きなところの一つです。
ずっと同じメンバーで過ごした小学生時代。先生が3回変わり、3回分楽しんだ記憶があります。毎年何かに一生懸命になっていたな~と今でも鮮明に思い出します。
今の私を作り出す一つになっています。

★1年生~2年生
先生がめちゃくちゃ熱い先生で、義務教育初めの先生がこの先生でよかったと心の底から思っています。
この時から人に恵まれた人生だと感じています。
この2年間は自然にたくさん触れ、そして命について考え、教えてもらいました。
毎週のように、森、山、川に探検に行き自然に触れる機会をたくさんくれました。
長野県には7年に一度開催される「御柱」というお祭りがあります。
このお祭りを小学生の時にやらせてもらいました。
大人がやるお祭りですが、お父さんお母さん、先生に協力してもらい行いました。
まず木を切るのですが、命をもらうということ。もみの木を切るのですが、命をもらうということについて先生はしっかり教えてくれました。切った木をもみの木さんと呼んでいたのですが、もみの木さんへのメッセージをみんなで書き、それを歌にしました。
今でも地元で集まると口ずさんでしまいます。
やってはいけないことをするとびっくりするくらい怒られ、すっごく怖かった記憶がありますが、全て全力で受け止め話をしてくれた先生。成人になってからもみんなで会うくらい素敵な先生に出会うことができました。

★3年生
めちゃめちゃ宿題が多かった!その記憶がすごくあります(笑)
テストをして間違えた数×〇ページみたいな毎日でした、、、。ここで百マス計算や都道府県が強くなったと思っています。
毎年地元で行われるお祭りがあります。
そのお祭りには踊り連というものがあって、お祭り中2時間ほど踊り続けるのですが、それに参加したのが3年生の時でした。

クラス全員で参加しました!
楽しい夏の思い出です。また参加したいな~。

★4年生~6年生
この3年間はもうドッジボール!!!これに尽きます。
ドッジボールをしていた記憶しかありません(笑)
大会にもたくさん出て、ガチでやっていました。
エースドッジボールというものがあるのですが、それで何度か上の大会に行ったり、第一回の大会で初代優勝をしたり本気でした。
長野県にあるオリンピックでも使用されたビックハットまで行って試合をしたこともあります。
本気でやることの楽しさ、悔しさ。たくさんクラスで話をして、ぶつかって前に進んで、そんな環境を作ってくれた先生には感謝しています。
ドッジボール以外は、放送委員会の委員長を行い朝、お昼、帰りの放送をしていました。
好きな曲をかけたり、動画を撮ったりしていました!

中学生

さぁ、中学生まで来ました!
中学時代は私にとって、今の私を作った一番の記憶。この時代があったから私は今ここにいて、働いている。そのくらい大事な記憶です。
2年に上がるタイミングで通っていた中学が廃校になり、隣町の中学と統合しました。
こんな経験人生ですることあるんだと。

中学は木造校舎。歩くとギシギシ音が鳴り、夜歩くと怖いくらい、、、。
でも、この木造校舎が大好きでした。

中学から部活でソフトテニスを始めました!
部活の思い出は、とにかく走った!走って走って走りまくった記憶です。
中学のクラスも基本保育園からの友達なので、本当にずっと一緒(笑)
中学の先生は担任の先生以外も怖かったな~という記憶が、、、。鍛えられました(笑)
体育祭やクラスマッチ、合唱コンクールは本気でした。
担任の先生は理科の先生だったのですが、理科の授業の時、運動着で校庭集合!と言われ理科ではなく、大縄跳びの練習をするなど、そういうのも楽しかったな~と一つの思い出です。
自然の中にあった木造校舎、休み時間にやることは日向ぼっこや蟻地獄を作っているのをみたり、そんな中学生いる!?って思う(笑)

1年通った中学が廃校になり、2年から統合した中学に通うことになり、今までずっと1クラスだったところから4クラス分の初めましての友達ができました。
保育園の頃から一緒の友達で過ごしていたので、この人はこういう人と分かった中で過ごしてきた環境から一転。
色んな人がいて、色んな考え方があるんだ、、、と感じ、統合したことによって学べたことがたくさんありました。
周りを見て行動すること。意見を聞いて進めること。今はこの統合がよかったものだと思っています。

廃校になった中学での1年は私にとって夢だったんじゃないかと思うくらいの時間で、そしてこんな素敵な木造校舎をなくしたくない、何かやってみたい。そう思わせてくれたきっかけの場所です。
統合が決まり、閉校式、最後の1日。クラスの全員が泣いた日。教室で先生が涙をこらえながら、次の学校に俺は行けない。そう言いながらくれた1枚のDVDは今でも大切なもの。
立ち止まりそうになった時、元気が欲しいときに必ず見るもの。私が止まらず成長できるのは、この1年があったから。そう思っています。

高校生

学生の中で一番の青春。
部活に勉強、学校生活、全てに全力だった3年間。
そして、将来今の道に進もうと決めた時間。
高校生活はずっと部活!1,2年はもう部活漬けの毎日。
部長をやらせてもらったり、本当に色々なことを学びました。
チームをまとめる力、リーダーとは、役割、今イベント21で働くうえでこの経験があったから今できていることがたくさんあります。
自分が負けず嫌いなんだ~と気づいたのも高校の時。笑
先生にめちゃくちゃ怒られた毎日。今までの人生で一番怒られたと思う。
千葉に遠征に行って夜2時間立ちっぱなしで怒られ、翌日4時起きで合宿が始まったのが一番記憶に残ってます(笑)
部活を引退し、部長を引き継ぐとき、厳しかった先生にお前ならどこに行ってもやっていける。そう言われたのがすごく嬉しかった。
やり続けてよかったと思った瞬間でした。

高校生活を通して、やってやろう。やってやる。そういう気持ちが強くなりました。
負けず嫌いエピソード
3年生の初め、国語のテストで20点台を取ったことがあります。めちゃくちゃ国語、英語、社会という文系が苦手で、、、。
その点数を取って先生にこれやばいよ!と言われたのに、腹立って(自分が勉強していないのがいけないのですが、、、笑)やってやる!そう思って次のテストまで勉強して学年1位を取りました。そしてそこから全体成績では講座1位、学年20位以内をキープし続けました。悔しいという思いは、何よりも活力になり、自分にとって悔しいという感情がここまでのものになるということを知りました。

そしてイベント会社に進もうと決めたのも高校時代。
小学生の時に行った初めてのコンサートで、こんなことやってみたいな~と漠然と思いました。ただその時はイベント会社に行こうとか、東京に行こうなどは考えていませんでした。
高校2年の時、放送委員会をやっていて文化祭の照明、音響を担当していました。
私の高校は文化祭の開催宣言の前に先輩役員がソーラン節を踊ることが伝統としてあります。
真っ暗の体育館に総長の合図で灯りがともり、ソーラン節が始まる。この瞬間が好きでした。
2年生の時、その灯りをつける役をやってみる?と言われやらせていただきました。
照明をつけるのはボタン一つです。それでもその一つで空気が変わり、普通の体育館が特別な空間になる。その瞬間鳥肌が立ち、自分がこの瞬間を、空間を作る。そう決めました。
そこから専門学校に行くことを決め、もちろん先生には止められ、大学を進められたりしましたが、できないと思うのであれば、やってやる。そう思ったのを覚えています。
高校は、全力で、楽しく、自分の人生の岐路であり、そして悔しいであふれる時間でした。

専門学校

専門学校に入るタイミングで東京に上京してきました。
東京での一人暮らしに不安とわくわくを抱えて。
一人暮らし1日目。引っ越しが終わってお父さんとお母さんが帰って行く後姿は今でもなぜか鮮明に覚えています。
専門学校では今まで経験したこともないようなことを沢山経験しました。
ライブを一から作ったり、レコーディングをしたり、映像を作ったり、本当に色々なことを。
専門時代にロス、ラスベガスに行ったこともいい経験です。
中学生の時に花より団子を見ていて、映画の最後にラスベガスの噴水のシーンがあったのですが、それを見たときに死ぬまでに絶対行く!そう思っていました。
専門の海外研修がラスベガスでこれは行くしかない!と思い行ってきました。
行きたいと思っていた場所に行けたに感動でした。

2年生の5月にはイベント21に行こうと決めるのですが、決めたきっかけを話す前に一つ。

この写真。専門1年生の時の写真です。
この時は2年後同じ会社に入り、今同期として一緒に役職者になろうとしているとは夢にも思っていなかったのですが、この写真に今の同期東京支店のTさんが!
同じクラスだったんですよね~
専門の時は話すこともなく、この写真も謎でしかないのですが今では大事な同期です♪

話を戻して、イベント21に入りたいと思ったこの時の思いを話したいと思います。
イベントの専門学校に入り、イベントのことを色々学びました。
そして自分が何がしたいのか考えました。
自分の中にはやっぱり廃校になった中学があり、大好きな長野がありました。
地域と中学、そしてイベントこれを合わせて何かできないか、そういうことができる会社はないかな、、、と思っていました。
その時たまたま就職担当の先生から求人のメールが届きました。
この会社、専門の先輩も働いてるよ~と教えてくれ、それだったらまず行ってみよう!と思い会社説明会に行きました。
そこで説明会をしてくださったのが、マネージャーのKさん・Fさん、千葉支店Tさん、東京支店Nさんでした。
この説明会がすごく鮮明に残っていて、学生の私のやりたいこと、廃校になった学校でイベントやりたいんです!という夢に真剣に答え、考えて話をしてくれました。
高校の時、イベント関係に進みたい。そう先生や友達に伝えたとき、もっと安定したところに行ったら?と言われたのを思い出し、こうやって真剣に聞いてそのためにどうしたらいいのか、どんな人間になりたいのかなど話をしてくれました。
その時に、ここならできるかもしれない!そしてなにより、この人たちと働いてこんな人になりたい。そう思いイベント21にエントリーしました。
そして今、イベント21神奈川支店で働いています。

イベント21入社。ドラマみたいな1年目

さぁ!やっとイベント21に入社したところまで来ました!
長い!いや、生まれたてから考えるとぶっ飛ばしすぎなくらいです。笑

入社式の時の私です。
緊張してるな~というのが写真からも伝わってきます。
いや、思っている以上に緊張してますよ!笑
自分の入社式の時、忘れられないことがあります。
いきなり奈良に連れていかれ、円卓には知らない方ばかり、、、関東の先輩もおらず初めましての関西の先輩が1名。その先輩も運営で忙しく席にはおらず、、、というスタートでした。
その先輩がグループディスカッションの時に席に戻ってきました。
初めましての私の隣に座ってすぐ、一言「大丈夫?」と声をかけてくれました。
それは今の京都支店長Nさんでした。
緊張しまくっていた私にはこの一言が泣けるくらいうれしく、今でも覚えています。
そしてこの年のアワード、you happy,we happy!賞を受賞したのがNさんでした。
その時、こういう人になりたい。そして私も賞を取れるような人間になりたい。そう思いました。

1年目は日吉でした。
事務所と倉庫を持ち、営業と倉庫作業を行う毎日。
この1年は私にとってなくてはならない時間で、この1年がなければ今の私は確実にいません。
礼儀、仕事、全てをここで教えてもらいました。
1年目色んなことがありすぎて語りきれません。笑
看板が全くできず悔しくて誰よりもできるようになろうと思ったこと。そして中村がいれば看板どうにかなるといわれるまでになったこと。
気が使えないと怒られ悔しくて、誰よりも周りを見れる人になろうと思ったこと。
そしてなにより、しんどいを一緒に乗り越えてくれた先輩、同期がいたこと。
こんな人になりたいと思える先輩に出会えたこと。
しんどいが自然と楽しいに変わり、今でもこの1年のことはよく話をします。
そして2年目になるにあたり、挑戦しようと決めた1年目。

一番!そう思い続けた2年目

入社して2年目、チームリーダーと新卒採用委員会委員長を任せていただきました。
リーダーと委員長を受ける。なかなか決められず、たくさん悩み話をして2年目を迎えました。
なぜやろうと思ったのか。
やらなかったら後悔する。こんな機会を逃したら後悔する気がする、そう思いました。
誰かの上に立って引っ張っていくことが得意ではなかった私が成長するには、やってみること。そう思いました。
そして尊敬する人からの、やってみたら?この一言でもあります。

1年間、「小さな気遣い」を胸にやってきました。
★まずは新卒採用。
過去最多の採用をすることができ、その子たちの入社式がこの会社に入社して1位2位に入るくらい私にとって素敵な瞬間でした。
入社式を作ることになり、今までと違う感じでやりたい。
アッと驚く入社式にしてほしい。社長からの一言で始まった。
会場が暗くできることを利用し何かサプライズを行いたい。
ですがなかなかいいコンテンツが浮かばず、、、入社式を二か月後に控えて行った冬の合宿。
そこで他拠点であり、委員会も違う先輩たちが夜遅くまで一緒に入社式のことを考えてくれました。
そんな環境が当たり前にあるイベント21に涙が出そうになりました。
いいものを作るために、理念実現のために同じ方向を向いてくれる。こんなに心強い人たちはいません。
そして色々考え、入社式はキャンドルリレーを行いました。
内定者でリレーをし、そして火を消すとメッセージが浮かび上がってくるサプライズ。
内定者のびっくりし、嬉しそうな顔、それを見つめる先輩たちの顔、その景色を見て、この瞬間までバタバタでどうなるのかと準備した時間が一瞬で素敵なものに変わる瞬間がやっぱり大好きだと感じ、涙が流れました。
そしてその時、この時の神奈川支店支店長Kさんが肩をポンとたたきながら「よくやった」そう声をかけてくれました。
この会社でうれしい瞬間でした。

★チームのこと
チームリーダーを任せていただき、初めて後輩を持った年。
うまくいかないこともたくさんあり、思った通りに行かないこともたくさんあり、力不足を感じる日々でした。
それでも自分の中で、このチームが一番!この子たちが一番!それだけを思ってやっていました。
1年後この子たちならどこに出しても大丈夫。そう思われるチームにする。
そんな想いでした。
1年間沢山チームで話をしました。話して話して話しまくった年だったな~と思います。
そして、チームとして年間目標を達成し、次の年全員役職を上げることもできました。
手探りで、一緒に歩んだ1年間だったなと思います。
もっといろんなことがしたいな~と思い、自分で賞を作ったり、神奈川支店を装飾してみたり、こういうことが好きなんだ!と新しい自分を発見した1年でもありました。

そしてこの年の経営方針発表会。
一つ恩返しができたかなと思うことが。
この年のアワード、you happy,we happy!賞をいただくことができました!
嬉しいや色いろな感情の前に、感謝が思いっきりこみあげて来て壇上に上がって賞状をもらった瞬間、一番お世話になったKさんに「やりました!」と見せるくらい感謝しかありませんでした。
私が泣く前に、私より泣いていたKさん、、、。これからもずっと言い続けます。笑
そしてこの話には続きが、、、。
受賞した夜、現マネージャーのKさんたちと「Kさんが泣くことってなかなかないですよね?」「見たことないですもん!」「こんなに泣くってことは明日雪でも降るんじゃないですか!?」と話をしていました。
~翌朝~
大雪!めちゃくちゃ積もってるじゃん!
3月も中旬、奈良で雪なんて降るはずがない。それくらい珍しかったということです。
こうやって泣いてくださる先輩がいることが幸せです。いつもありがとうございます!

Kさんの爆泣き

覚悟の3年目

3年目は神奈川支店のサブセクションチーフとしてスタートしました。
この1年は悩みに悩んだ年でした。
今までで一番考え、考えすぎてご飯が食べられなくなるくらい考えました(笑)
サブセクとして、神奈川をどうしていこうか、そして会社に何ができるのか。
楽しいを追求しながら、うまくいかないこともたくさん。
もう一人のサブセクKさんともうどれだけ話したか、というくらい話をしました。
周りから喧嘩してるの!?と言われるくらい(笑)

サブセクとして覚悟の年。
会社としてもそうだったのでは、と思います。
他拠点にも行ったり、他拠点の人ともたくさん関り、自分の考え会社の考えを改めて見つめた1年間。

神奈川支店はただでは終わらない。
毎年色々やってくれるな~退屈しなくていいなんて言ってられないくらいですが、
神奈川のメンバーがいたから走り続けられた、そう強く思った1年でした。

想像もできない4年目

サミット合宿の時

そして今。
イベント21に入社して4年目になります。
4年目は神奈川支店のサブセク、エンゲージメント委員会の委員長としてスタートしました。
今年のビジョンは「小さな気遣いからたくさんの成長を」
マイコアバリューは「挑戦」

20年度を迎えるにあたって、神奈川支店でたくさん作戦会議をしました。
あれをやろう!これをやろう!
さぁ行こう!そう思った矢先、世界的に大変なことに、前代未聞の事態に見舞われました。
こんな時だからこそ、を合言葉に今までの固定概念を壊し、今までの当たり前をガラッと変え進んだ半年間。
今年度掲げている、夢を追う環境と夢を叶える環境。
★数字目標
今まで以上にお客様対応を考えた時間。
ハッピークリエイトとは?
今何をするべきか?
粗利率を上げるために、決定率を上げるために商品の購入や、自社で回せるように調整、そして何より一緒にイベントを行いたい!という気持ちを伝えてお客様との距離をもっと近づけるよう対応してきました。
それでもまだまだです。
もっと細かい目標を立て、毎日発信し全員で把握できるようにする。
個人ではなく、みんなで対応する。案件管理の徹底を進めていきたい。

★文化の発信(中長期)
委員会活動を中心に今まで以上を求めてきました。
まず拠点内でフォローできるよう、各員会の進捗をボードに書き出しました。
この状況で元々の行動計画とはガラッと変わる委員会ばかりでした。
エンゲージメント委員会もその一つです。
夢を叶える報告書、今までは当たり前のように紙媒体で、今年も紙媒体で作成する予定でした。紙媒体だからこそできることを盛り込み、もっと使用できる仕組みを考えていました。
その目的は変えず今回クラウド化に初挑戦!一部紙媒体で作成しました。
今までの固定概念をなくしたからこそできること、発展したことがたくさんあります!
そして神奈川からの発信として、なかなか全員が集まれな状況だからこそ毎日の出来事を発信したり、オンラインで話をしたりしました。
そしてここから、これから発展していく委員会のフォローを神奈川メンバーで行います。
数字の共有と合わせて、毎日神奈川の状況を発信していきます。

★情報発信
今年度が始まって週3投だったブログを週5投稿にしました。
そして今神奈川HPのブラッシュアップを進めています。
ブログ投稿と合わせ、ブラッシュアップ案を出し合いそれをまとめwebチームと協力して進めています。
まだまだ見てもらえる数が少ないので、SNSでの発信、チャットでの共有などをしてみてもらえる場を増やします。
それと同時にHPのブラッシュアップをさらに進めます。

★人材育成~拠点長をやろうと思った理由~
スモールマネジメントの強化。
チームの関り強化をするため、集まれな状況でも電話やオンラインで話をするようにしました。
今まで以上に小さな気遣いを大事に、できる限りの情報共有を行いました。
この半年で人材育成にはとても悩みました。
今まで面と向かっていても、難しいと感じる部分がある中で会えない中でどうやっていくべきなのか。
自分にできるのかと壁にぶち当たったとき、この会社がとんでもないスピードで進んでいることを改めて考えました。
社長になる、マネージャーになる、拠点長になる、、、すごい勢いだな、、、
・・・自分が行くのが早いんじゃないか!?そう思ったのが一番です。
頑張ろうというのであれば、もっと良くしたいと思うのであれば、自分が見せるべきであり、引っ張るべきなのではないか。
そして、自分が新卒で入社した神奈川支店、先輩たちの背中を見て育った神奈川支店の拠点長をやって恩返しと恩送りをできる人間になりたい。
できるできない、何よりも今の状況にワクワクした自分がいました。
神奈川支店メンバー、もっと成長できるよう残り走っていきます。

やっぱりこの、シャッター押す数秒前まで自由な神奈川が好きです。 

これからもこんな神奈川支店をよろしくお願い致します☺